羊の大きな人

残りわずかな学生生活の遺書

5(コミュニケーション)

こんばんは.

体内時計がワールドカップに適応してしまい,未だに眠くない僕です.

 

今日は人とのコミュニケーションについて思ったことを少し書きます.

言葉は難しい.

以上です.

 

…さて,僕は今「言葉は難しい」と言いました.

読者の方はこの言葉をどう解釈したでしょうか?

僕は,「言葉は難しい」と言う前に,実は非常に長い文章を書いていました.

何故かと言うと,今僕が思っていることをより詳細に言葉で表現しようとしたから.

しかし,それを書くのを途中でやめ,すべて消しました.

そしてその後,「言葉は難しい」というたった6文字の言葉を書きました.

 

我々はしばしば日常生活の中で,このように自分の思っていることを簡単な言葉で表現しようとします.

友人との会話の中でも,リズムよく会話を行うために,思っていることすべてを口に出すことはあまりないと思います.

頭の中で100考えていることがあるところ,実際に口に出すのは5程度かもしれません.

よって,聞き手は,その短い言葉から相手がどのように考えているのか,どのように思っているのかを瞬時に察し,それに沿った返答をする必要があります.

「そんなの当たり前だろ!」と思うかもしれませんが,これは非常に難しく,実は多くの人がこれをできていないのです.

「できていなかったら会話ができないだろ!」と言いたい気持ちも分かります.しかし,これでも会話はできてしまうのです.いったいなぜでしょうか.

理由は主に2つあります.

1つ目は,双方が「考える癖がついていない人」の場合です.

この場合,お互いがお互いの言葉の真意を深く考えようとしないので,ひたすら中身のない会話が続きます.自分の言いたいことを思う存分言い,相手の言いたいことを話半分で聞き流す,このような会話はある意味双方が幸せなのかもしれません.

2つ目は,一方が「考える癖がついていない人」で,他方が「深く考える人」の場合.

この場合,「深く考える人」が「考える癖がついていない人」に一方的に合わせる会話形式になり,「深く考える人」は「考える癖がついていない人」のストレスのはけ口のような形になります.「深く考える人」は,深く考えた結果意見を持ちますが,相手に言っても無駄だろうと考えるので,決して口に出そうとはしません.ただひたすらに,「考える癖がついていない人」の会話ペースに合わせ,会話を続けようとしてくれます.例えると,言葉を覚えた2歳児の相手をする母親という感じです.「ブーブー!ブーブー!」という2歳児に対して,「あ,ブーブーだね!すごい!」と言ってあげているのです.このパターンが一番最悪かもしれません.

 

このように,会話においての「当たり前」ができていなくとも,会話ができてしまうのです.

 

…眠くなってきた.

おやすみなさい.(さあ,僕は今何を考えているでしょうか?)