羊の大きな人

残りわずかな学生生活の遺書

9(人はいつか死にます)

こんばんは.人間です.

生きているものはいつか死にます.

 

人間にも寿命があり,いつか必ず死は訪れます.

僕は小学2年生の頃から,死について考えるようになりました.

人は亡くなったらどこに行くのだろう.本当に無になってしまうのか.

そんなことを考えていたら怖くなり,眠れない夜が続いた時期もありました.

生と死は全く別物ではなく,常に生の中に死があると思います.

人々の生の中に,他人の死や自分の最期が存在し,死の中には何があるのかわかりません.

僕はまだ20代になったばかりの学生ですが,人にはいつ死が訪れるか予測できません.

死を意識して生きるというのは,一日を一生懸命生きることに繋がり,より良い人生になると聞いたことがあります.

その中でもよく耳にするのが,「今日を人生最後の日だと思って生きろ」という言葉.

僕は前々から疑問に思っていました.

もし今日が僕にとっての人生最後の日になるとするならば,僕は今すべきことを全て放り投げて,有り金を全て使って美味しいものを食べ,鼻から煙草を吸い,無免許で車を運転し,実家に帰って家族と最期の時間を過ごします.

こんなことを毎日していてはダメ人間になってしまいます.すでにダメ人間だろ!というツッコミはNGで.というか毎日することは金銭的に不可能ですね.

まあ何というか,この言葉をはじめに言った人は,何かもっとしっかりとした意味を持って伝えようとしたのでしょう.それが伝言ゲームのように伝わり,今のように大人の人が元の意味も知らずに使うようになってしまったのではないかと考えたわけです.

なので調べてみました.

スティーブ・ジョブズとかガンジーとか出てきましたが,それはきっと伝言ゲームの途中の人であると思い,いろいろと調べた結果,ホラティウスという人にたどり着きました.

ホラティウスはなんと紀元前1世紀の人で,古代ローマの詩人でありました.

彼はこのような言葉を残しています.

「毎日自分に言い聞かせなさい.今日が人生最後の日だと.あるとは期待していなかった時間が驚きとして訪れるでしょう.」

彼はこの言葉を通して,「人生最後の日だと思って自分の好きなことだけしろ!」と伝えたいわけではありません.

人生最後の日だからこそ,誠実に努力して一日を生きる.やるべきこととやらなくてもいいことを考えて,時間を有効に使っていく.時間の重要性を理解した上で,日々の努力を積み重ねていける人にだけ,あるとは期待していなかった時間が訪れるということだ.

ふーん.なるほど.そうなんだ.

それでも僕は人生最後の日には思いっきり好きなことをしたいと思ってしまう.

たぶん,そう考えているってことは,今好きなことができていないんだろう.

今の人生に満足していれば,おそらくホラティウスの言葉はすんなりと理解して同意することができるのだろう.

好きなことを研究したいなあ.研究テーマ変えるか.

 

僕はまだ死ねない.