羊の大きな人

残りわずかな学生生活の遺書

3(緊張・深く考える)

今日は久しぶりに大学に行った.

就活中は基本的に東京にいたので,こうして数ヶ月ぶりに大学に来てみるとなんだか新鮮な気持ちになる.大学一年生の頃に感じていたような気持ち.

 

今日は大学で友人といろいろなことについて話した.

メンヘラの話とか,パーソナリティ障害の話,自己と他者とは何か,緊張の話,自意識の矢印の話,就活の小話など,久しぶりに真面目に人と話した気がする.

 

緊張の話では,なぜ人は緊張するのかという話をした.

僕はとても緊張しがちなんだけど,いつも自分をよく見せようとして「自分」を強く意識している傾向にある.

つまりこれは,オーディエンスがいる中で意識の矢印が「自分」に向いているということだ.僕はこの矢印の向きが緊張をつくっていると考えた.

例えば就活の話だと,面接を始める前は完全に「自分」に意識が向いており,非常に緊張してしまうが,面接が始まって面接官と話していくにつれて緊張がほぐれていくのだ.これは,面接官と話していくにつれて,「自分」に向いていた意識の矢印が,「相手」に向き,つまり面接官の反応を確かめながら会話のキャッチボールをしているということである.

このように,意識が「相手」に向いている人はあまり緊張しない傾向にあると考える.

内定を頂いたある企業の人事の方によると,その人は生まれつきまったく緊張しないタイプらしく,1対1の会話だろうと1対100の講演会だろうと相手の反応を見ながら臨機応変に話を進めていく能力を持っており,つまりはじめから「相手」に意識の矢印が向いているので緊張しないのだそうだ.

なるほどそういうことか.確かに僕含め緊張しがちな友人に話を聞くと,みんな口を揃えて「周りに自分がどう見られているのか気になる,心配」と言う.つまり完全に「自分」に矢印が向いているのだ.

僕たち緊張しいは自分をよく見せたいのだ.それは自信のなさの表れなのかもしれない.

 

また,矢印の話の中で友人が言っていたのが,自分の中に自分を冷静に見つめる自分ができるという話だ.これはとてもおもしろかったのでここには書かないでしまっておく.

その会話の中で,R.D.レインの「ひき裂かれた自己」をおすすめされたので今度本屋で買ってきます.

 

友人との会話の中で特に印象的だったことは,他人についてとやかく言ったり思ったりすることは,人の一側面のみでその人を決めつけているところがあるので,極力避けるべきだということ.

例えば,グループワークであまり積極的に参加してくれない人がいるとする.その人を「やる気がない」「協調性がない」「仕事ができない」などと思うかもしれない.人によっては,その人以外のグループメンバーで集まってその人の悪口を言うかもしれない.しかし,その人は本当に「やる気がない」のか?「協調性がない」のか?「仕事ができない」のか?もし本当にやる気がないのならば,なぜやる気がないのだろうか?その人にしか分からない重大な理由があるかもしれないし,他の人がそういう環境をつくってしまっているのかもしれない.

つまり,僕たち人間は,他人のことを完全に分かろうとするのは不可能であり,人それぞれ何か考えがあったり,理由があって行動しているので,簡単に他人を判断して批判するのは浅はかであると思った.

僕の周りの人も,何か理由があって,何か考えがあって,それぞれの行動を選択していると思うので,一側面のみで判断して何か思ったり,言ったりするのは意識的にしないようにしよう.

 

今日はそんなおはなしでした.

今ベルギー対フランス見てるから,明日はきっと昼過ぎに起きるな.

明日は本を読もう.